昨年2021年は、これまでとは比べ物にならないぐらい苦しい一年だった。
ちょうど一年前の今日、愛していたパートナーを亡くし、それにより10年来の鬱が急激に悪化することとなった。
まさか齢23で喪主を経験することになるとは夢にも思わなかったし、何より「自殺する」という行為がいかにたくさんの人に迷惑をかけるかを思い知った。
生きるのが、地獄のように辛い。
でも、死ぬのはもっといやだ。自分の死を絶対に許すもんか。
その想いを胸に死別の苦しみを1年で乗り越えた記録を、ここに記そうと思う。
「お前の頭は俺の理解の範疇を超えている」
彼の死の当時、実は悲しみよりもこれからどうするんだということしか頭になかった。
ご存知の通り私はFtX(心の性が不定)であり、発達障害の診断も出ている。
その上で23という年齢で死別バツ1、こんなのどうやっても次のパートナーなんて見つからないじゃないかと。
あとは彼の残した遺品をどうするかーとか、そういう話を葬儀前に父にしたところ、言われたのが見出しに書いたソレだ。
実際に検察が家に来て調べていたときも気が狂うようなそぶりもなく淡々と受け答えをし、「もしかして殺したんじゃないか」と疑われたり、誰もが泣いた葬儀で一滴も涙をこぼさずに喪主挨拶までやり切ったり。
悲しんだところであの人はどうやっても戻ってこないんだから、その先のことを考えた方がよっぽど建設的だ。
そう思って先へ先へと行動した結果、私の頭のおかしさが明るみになってしまったのである…
自分の回復力を見誤っていた
2月の地点では3月からルームシェアを開始し、1ヶ月のんびり過ごして4月から仕事に復帰するつもりだった。
これまで一時的に鬱がひどくなった時も1週間自由に過ごしたらあとは何事もなかったように復帰できていたし、自分のメンタルの回復力にはたいそうな自信があったのだ。
しかし、死別のダメージは想定以上に大きかった。
3月後半に仕事に向けて準備を始めると、急激に体調が悪化してしまう。
仕事先でもある父に頭を下げ、思うように回復できず仕事できないかもしれないと伝えると、「鬱の人も皆仕事している、頑張れ」と…
そりゃ回復遅れるわ。
そんなこんなでカウンセラーから「どうにか仕事は待ってもらえるようにお父さんを説得してください…」と言われ、これまで避け続けていた投薬治療にも踏み切ることになった。
結果的に環境は改善され、6月ぐらいには少しずつ仕事できるようになっていた。
生粋のソシャゲ廃人、ウマ娘に救われる
仕事に復帰しようと無理をした結果倒れた私が、その間何をやっていたかというと…
みなさんご存知、ウマ娘である。
4月頭にキタサンブラックが実装され、そのタイミングでリセマラし開始した。
プレイしている方はご存知だと思うが、このゲームは真面目にやるととてつもなく時間を食う。
そのおかげで、体を起こすことすらできなかった私も退屈せず過ごすことができた。
仕事を頑張るようになったのもウマ娘に課金するならちゃんと働かないと…という動機だったりする。
やはり、推しの力は偉大なのだ。
彼の残した最後の独占欲
思えば、彼は生前からかなり独占欲が強かった。
正直一緒にスプラをやるのが苦痛で、他の人と遊ぶと拗ねることが多かったように思う。
そんな彼の残した最後の独占欲は、7月下旬に私に襲いかかってきた。
一人でいるとただただ寂しいのに、次のパートナーを見つけるために行動しようとすると、「まだ早い」「彼に対して失礼だ」「私だけ幸せになるのはちょっと」と思うようになっていた。
そのストレスに負け、また体調を崩してしまった。
全部私の考え方の問題だが、なんとなく彼が「ずっと自分だけを愛し続けるように仕向けた」んじゃないかと思わなくもない。
そんな苦しみを断ち切る転機は、その数ヶ月後に訪れた。
ついに哭く
9月に入り一時的に落ち込んでいた気分がある程度回復し、私はある人に淡い恋心を抱くようになっていた。
その人とはお互いの価値観をとことん話し合った結果失恋することにはなったのだが、その一連のやりとりは私を大きく変えた。
動けるようになるため、ほぼ毎日運動や筋トレをするようになった。
化粧をせずとも出来るだけ綺麗な姿になるために、洗顔を見直した。
早く起きるようになったため1日3食食べるようになり、栄養バランスも少しは考えるようになった。
そして、死別をすっかり吹っ切ることができた。
…失恋した日、私は哭いた。
「苦しいけど、あの死別を乗り越えた私なら絶対に大丈夫。逃げたりしないし、死んだりもしない!!」
そう言ってぼろぼろ涙をこぼす私を、その人は思いっきり抱きしめてくれた。
そして、これからも親友として私の努力を見守ると約束してくれた。
私はパートナーは失ったが、なりたい自分になるためのきっかけと、最強の協力者を得ることができたのだ。
「今は少しずつ羽を開いているところなんだ」
冒頭で「お前の頭はry」、鬱が悪化した後「頑張れ」と地雷を踏み抜いてきた父だが、今はどうにか理解を得て、良好な関係を築いている。
私の思考の速さは彼の死の直後は裏目に出ていたが、逆に仕事においては強力な武器になりうると、この能力を高く評価してくれたのだ。(その結果給料も1.5倍近くに跳ね上がり、若干のプレッシャーも増えたのだが…)
その上、こんなに手厚くしてもらっていいのだろうか…と困惑する私に、父は「自立できるよう能力を伸ばすサポートをするのが親の役目だ」とサラッと言ってのけた。
これまで障害ゆえに社会に居場所なんてないと考え、セルフネグレクトに陥っていた私にとって、生まれもった能力を買われるというのは非常に心の支えになった。
こうして、自分のやりたいことのために勉強することをよしとする環境を得られ、自分の能力をフルに発揮できる条件が整った。
「今は少しずつ羽を開いているところなんだ」
さあ、これから私はどんな姿になり、どんなふうに飛び立つのだろう?
私は人に恵まれている
この1年間ずっと自分と向き合い続けてきたが、ここまで回復できたのは間違いなく人に恵まれていたおかげだと思う。
仕事を待ってくれて、その間も金銭面で支えてくれた父。
ルームシェアまでの期間、居候させてくれ面倒を見てくれた母や祖母。
お互いwin-winだったとはいえルームシェアに協力してくれた友人。
苦しい時に屈託のない笑顔で気持ちを上向きにしてくれた父のパートナー。
これからも私の自立を支えると約束してくれた大切な親友。
そして、都度相談に乗ってくれたり、遊んでくれたフォロワーさんたち。
本当に、心から感謝しています。
拝啓、一年前の私へ。
君は一人じゃない。
だから、絶対に後を追うんじゃねぇぞ。
足掻いて生きた先に、信じてくれる人がいるのだから。