パートナーを失ってから1年半が経った。
家族や友人のサポートのおかげで、死別の苦しみから完全に立ち直ることができた。
しかし、死別を乗り越えても大きな課題が残っている。
それは、おそらく中学生の頃から患っていた鬱だ。
鬱の克服への一歩として、これまでの、そしてこれからの自分のあり方を綴ってみようと思う。
ただのサラリーマンにはなりたくなかった
自分がこれからどうなりたいのかを考える上で、幼少期からずっと思っていたことがある。
普通のサラリーマンにはなりたくない。
その思いが根底にあったからか、「将来の夢はなんですか?」と聞かれたときには何かしらを「つくる」仕事を挙げていたように思う。
まあ、小学生のいう「将来の夢」に普通のサラリーマンが挙がってくることはほとんどないだろうが…(笑)
自信を失っても
思い出したくもないが、鬱になったきっかけであろう中学〜高校時代の環境の中でも、やはり何かを「つくる」ことを夢見ていたように思う。
何かを創造する仕事がしたいのに、進学校が求める国公立の大学に行って、創造力を身につけられるビジョンが全く思い浮かばなかった。
だからこそ勉強にも身が入らなかったし、それでもどうにか学校の勉強に喰らいついて、評価されず自信をなくして…という負のループに陥っていた。
そんな中でもやっぱり「何かをつくりたい」という想いだけは失われることがなかった。
結果、中高一貫校を5年でやめ、自分のやりたい「ものづくり」ができる大学への進学を決意したのだった。
恨みを込めて
大学に進学すると、嫌でも「その先」…社会で働くことを考えなければならない。
発達障害とセクシャルマイノリティといった、働く上で不利になりやすい特性。
仲間が社会で差別される理不尽を目の当たりにすることが増え、社会に対する考え方はどんどん悪い方へ傾いていった。
「こんな理不尽な社会を変えねばならない」
もはやこの「恨み」は、生きる原動力にすらなっていた。
私の問題作でもある「社会問題をロールプレイングする」は当時の思考がそのまま表れている…
「逆らう」ということ
結局、これまでの私の生き方は常に「普通」に逆らっていた。
「普通」のサラリーマンになりたくない。
いい大学に行くという「普通」は違う。
「普通」が当たり前の社会は理不尽だ。
そして、その意志は今でも変わっていない。
人の心は変えられないけど
唐突にこの文章を書いているのには理由がある。
最近コピーライター養成講座を受けているのだが、その中で
「あなたにとってコピーライターとは何ですか?」
という問いを受けた。
私は即答した。
「コピーライター→他人の心を動かせる可能性の一つ」
人の心は変えられない。
でも、デザインやコピーライティングは人の心を動かす力がある。
私は、この力を求めて、数ある「ものづくり」の中でこの仕事を選んだ。
理不尽な社会を変えるために、もっと力がほしい。
どこまでいっても、私のあり方は「逆らう」ものなんだ。